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学校の表札をよく見たら、今の学校名が掘られている石の下の石に、セメントで埋められた文字を発見した。
発見した瞬間、私は10年前にタイムスリップした。
10年前、いや11年前かな。
私は現役バリバリの受験生だった。
高校まで公立の学校で過ごした私、若くはない両親の希望と我が家の経済の事情もあり、第一志望は当たり前に国立大学を選んだ。
レベルなんて全く考えずに。
ところが、その国立大学の2次試験は理科から1科目選択と、英語。
生物と英語だけは得意だった私、これはラッキーとばかりに得意教科ばかり勉強した。
そして、作業療法士養成校が少なかった当時の選択肢は少なく、関東圏内の私立校と、新設の私立短大、その他に教育学部のある大学、すべり止めに「資格を取って安定した職に就いて欲しい」と願う母の気持ちをくんで栄養士の資格が取れる短大を受験することにした。
そしてもう一校、作業療法士受験資格が得られる公立の短大も受験した。
この学校は、私の代で短大募集は終了し、次の年度から大学になる。
短大募集としては最後だった。
その学校の魅力は、「我が家から近い」「公立だから学費が安い」などがあった。
でも見栄っ張りの私は、大学に行くのを目標にしていた。
本当に見栄っ張りだったな、しかも中身のない見栄っ張りだった、と今でも思う。
いざ受験シーズンが始まり。
センター試験は、ボロボロだった。
英語と生物以外は全くのだめ人間な私、E判定が出た。
そして、私立の作業療法士養成大学は、1校は不合格、もう1校は補欠。
涙が出た。
私大の不合格の電報は、びりびりに破いた。
「あんたには無理だよ」と烙印を押された気分だった。
そして、E判定が出た国立大学の2次試験と、公立短大の2次試験は同じ日だった。
短大の1次試験は合格し、可能性は残されていた。
親は「国立はあきらめて、短大の試験に行きなさい」と言う。
あきらめることの悔しさ。
受け入れることへの葛藤。
自分へのイライラ。
当日、私は短大の2次試験にギリギリの時間に飛び込んだ。
直前まで投げ出そうかと思ったけれど、全てを投げ出すのは自分自身に対してフェアじゃない。
ところが。
ギリギリの時間に飛び込んだ私、気持ちが落ち着いていなかった。
2次試験は面接。
その前にアンケートを書くように指示されたのだが、その中の質問項目「好きな教科」を以前願書提出時にやはり書かされた「得意な教科」と違う科目を書いてしまったのだ。
面接で、その点を突っ込まれた。
上手くフォローできなかった。
自分の中で不完全燃焼のまま面接は終わり、モヤモヤが晴れないまま家に帰った。
卒業式の日が、短大の合格発表の日だった。
私の代わりに、母が見に行ってくれることになった。
妹にポケベルを借り、合格だったら「ゴウカクオメデトウ」、不合格なら「フゴウカクザンネン」と送ってもらうよう母と約束し、ポケベルを制服の内ポケットにしのばせて学校へ。
母は結果を見たら、高校に直行する予定だった。
卒業式が始まってしばらくして、ポケベルがぶるぶると揺れた。
画面には
「フゴウカクザンネン」
母は、卒業式に来なかった。
その後、奇跡的に補欠合格の通知が来て、私は私立大学の作業療法学専攻に入学した。
そんなことがあった年から、10年。
私は、昔受験した短大名をセメントで埋め、その上に乗せた石に新しく名前が刻まれた大学に通い始めた。
時の流れって、こういうものなのかな。
埋められた文字の端っこを、ちょっとだけ指で辿ってみながら、そんなことを考える。
良い学びができることに感謝しながら、毎日を大切に過ごしたいと思う最近の私である。