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いんちきリハビリ屋のいんちきだらけ(?)の学習帳
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「次は空けずに書く」って言ったの誰だよ?

私だよ。


ええ、私を平成の無責任女と呼んでください・・・
生まれは昭和だけど・・・



ひさかたぶりの更新ですが、ずっとずっと温めてきた記事です。
施設で働くようになって、考えるようになりました。


おそらく、リハビリの勉強をされた方なら(介護の勉強はどうなのかわからないけど・・・)、キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」にある「死の受容」のプロセスについては学ばれたと思います。
そして、リハビリ屋的にアレンジして解釈すると、「障害の受容」もそれに似たような経過をたどるのではないか、と私は習いました。

でも、過程を覚えているわけがない私なので、ウィキペディアさんにお世話になります。
以下、引用。


死の受容のプロセス

● 否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。

●怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
↓ 
●取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
 ↓
●抑うつ
なにもできなくなる段階である。

●受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。



こんな感じで、ロス女史はまとめたのですが。
私は、そんなひとくくりにはできないよなあ、この通りにいく人なんているんだろうか、と半分は信じてません。
でも、なんらかの過程(それは人それぞれだと私は思います)を経て、人は死を意識し、受け入れていくのでしょう。



ところが、もし、この中に「ぼけ」が入ったらどうなるでしょうか。
認知症、あるいは医学用語としての「痴呆」を持っていたら。



意思疎通ができる人が、ここにいると仮定します。
自分が老いていき、できることが少なくなり、物忘れも激しくなり、自分がいったい何をやっているのかきちんと把握できない、そしてそのことが辛くて仕方ない人がいます。

その人に、どうやって「死を受け入れろ」と言えるでしょうか。
もちろん、そんな直接的な言葉じゃなくても、乗り越えたいけどうまく考えがまとまらずもどかしさでいっぱいの人・・・そして明らかに年齢的には自分よりも「死」が身近な人に、どんな言葉をかけたら良いのでしょうか。

わからない私。



とある方をモデルに書いてみましたが、基本的にフィクションです。
現実は、もっとリアルです。壮絶です。


死を受容すること。
それだけで、難しいのに。
「ぼけ」が加わると(その進行度にもよるけれど)、さらに難しさが増すのではないかな、と感じながら、いろいろ学びながら働けることに感謝しようと思います。


次こそは、間空けずに書く?

むーりーかーもーねー。
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月曜日の授業では、やはり時代の流れを痛感しました。
私の現役時代は、まだ「近く制定される介護保険制度の内容」を議論している頃で、「こんな感じになるだろう」くらいしか授業では習わなかったし、実際に行った老人保健施設での実習でも介護保険について肌で感じることはなかった。
でも、あれから数年が経ち、介護保険は社会に浸透し、なくてはならない制度と変化した。
それを授業で習い、「ああ、覚えること増えちゃったみんなは大変だなあ」と一瞬他人事に感じた私は、おそらくアホだ。


大丈夫、おそらくアホな私だけど、一応真面目に理解しようと取り組んだし、真面目に授業受けましたから。
(強調している時点でアホ丸出しだよ・・・)
で、アホ丸出しだけど真面目に聞いた私は、その「現場で感じられなかった」介護保険制度に基づいた老健の役割が大きく変わったことにびっくりしたのです。
勿論、老人保健施設は「病院と自宅(もしくは特養等の施設)の中間施設」という基本的な役割は変わっていないと思うのだけど、その「中間」に求められることが、かなり変わっていた。


私が見た老健は、個別訓練と集団のアクティビティがバランスよく(良いのか悪いのかは勿論施設によりけりだとは思うけれど)組み合わされた内容だったと思う。
ところが、2006年だっけ、その頃に医療保険適用のリハビリテーションを受けられる日数が制限されるといういんちきリハビリ屋的にも「ええっ?」な決まりができ、本当だったらまだまだ病院でリハを受けるべき状態の方が継続してリハビリを受けられない状態になってしまった。
それ以降は、「介護保険」適用でリハビリを受けなさいと、お国は決めちゃったのだ。
その流れを一手に受けたのが、「中間」施設である老健。
昨日の授業では、老健でも利用者さんに週2回以上「個別20分」のリハビリテーションを提供するよう求められるようになったと習った。
おそらく、利用者さんの大半は、病院で本来受けられる限りのリハビリテーションは受けられずに早期退院し、「中間」施設の老健へとやってきた方々となる訳で。

そこで、授業では、「老健のOTに求められること」として

「病院型の個別リハに対応できること」

と習った。
今は、私が見たのとは違い、老健が病院化しているのかな、と感じた。
勿論、それは悪いことではない。絶対。
でも、知的萩原先生が危惧しているのと同じことを私も感じたけれど、「個別20分」のリハを利用者さんみんなに行うということは、それだけ時間がかかる。
でも、OTがそれだけ時間をかけているのに、利用者さんにとっては、OTは20分しか提供されない。
今までならグループでのアクティビティやレクリエーションなどを行うことができたはずなのに、「個別」という決まりのせいで、利用者さんは「20分」以外はやることがなくなってしまうことになる。

・・・これって、いいんかいな?

OTの良さは、個別のリハができることだけじゃない。
集団力動を用いて、みんなで楽しんだり喜んだりする「幸せ」を提供することだって、ものすごーく大切だ。
20分、機能訓練を提供すれば、利用者さんのQOLはUPするのだろうか?
UPしない訳じゃないのは確かだけど、それだけじゃないはず。


私的にかなり尊敬できる知的萩原先生は、そんなことちゃーんと解っていらした。
「老健のOTに求められること」のふたつめとして、

「OTによる個別リハの概念をアピールする」
レクや手工芸、集団への誤解を解き、説明し、その効果を示すこと

⇒よって、OTによる「個別」は集団を利用することを訴えること!


先生、ありがとうございます。
そういう見方をできるOTがいるからこそ、利用者さん、患者さんのHAPPYな人生は作られていくのだと思います。
私はとても、頭が下がりました。
軽く、ファンです(はぁと
来年改訂される教科書を先生も執筆されているそうですが、欲しくて仕方ありません。
買ったらサインしてください。
多分、読みませんが。
(嗚呼、やっぱり私はアホだ・・・




さて、最後にその知的萩原先生が授業で示してくださったケーススタディから学んだことを。
先生のお話を聞くと、OTってマジシャンなんじゃないかと思ったりしたのですが、「いんちきリハビリ屋のマジシャンへ転向の入り口」を昨日見つけたので、発表します。
ケースは、突っ込んだ話をしようとしなかったし、聞かれたくない方だったらしい。
ところが、OTがひたすらそのケースの話に耳を傾けた、その姿勢を崩さなかったことで、ケースは生き甲斐を見つけたり、自分の生活をより良くすることを一生懸命考えるようになった。
OTがしたのは「傾聴」することだけだった。(もしかしたら勿論別のこともしてたかもだけど)


私には、治療の手技もなければ知識もない。
「治療計画を立てろ」と求められてもできなかった。
ボ○ースにも、強いアレルギーがあるし、そもそもボ○ースがどんなことをするのかも忘れた。
(でも、エガちゃんはOTにとっては分かり易いです。これは一応オススメしておきます)
そんな私だけど、人の話を聞くのは好きだ。
実習で出逢った患者さんとも、短い現場で出逢った利用者さんとも、いろんな話をした。
とあるおじいさん(症状のせいで病棟の問題患者さんだった)からは、奥様との馴れ初めを聞いた。
「風と共に去りぬ」の封切りを観に行ったそうだ。
私は、なんにも持ってないけど、話なら聞けるかもしれない。
勿論マジシャンになれる訳じゃない。
でも、聴くことができるようになれば、マジシャン志望になれるかもしれない、と思った。

話を聞く、プロになろう。
それを目標にしよう。



やっぱり私はいんちきだなあ。

筋肉も書きたいが時間がないし、今日はこっち。
まず、先週墓穴を掘りまくったご報告から。
「百歳万歳」を見て気付いたことを提出したら、先生がみんなが書いたことをまとめて下さった。

「量り売り」なんて書いている人皆無il||li _| ̄|○ il||li

皆さん、看板娘さんの身体機能をよーくよーく見ていらっしゃった。
長時間の坐位保持不可能とか、ベッド生活とか。
量り売りを書いた私を、先生はどう思われたでしょうか?

でも、そんな軽いショックの後に、嬉しいこともあった。
知的萩原先生、私が(も)書いた「豆についての誇りと自信」について、「これは大切なことだ」と仰った。
「有能感」を感じられることを引き出すのが、OTとして大切なことだと。
それは勿論身体機能・認知機能の情報を踏まえて、なのは間違いないのだけれど、おそらくOTの視点はそちらに行きがちで、肝心なことが見られないことが多い。


また今日は、心の中で墓穴を掘りつつ感激したこともあった。
ADL自立Aランクの高齢女性の1日の流れをまとめた表(グラフ?)を先生が出された。
お手洗いと食事時間以外は、全て「休息」となっている。
このグラフを見て何を思う?と先生は尋ねた。
私の第一印象

「この方、もしかして人生つまんないんじゃないのか?」

やっぱり私の視点は少々変わっているというか、身体機能・精神機能を学んだはずの私が言うのは的外れな気がして、案の定「ADLは本当はそんなに高くないんじゃないか」「体力落ちてないか?」など私とは全然違う目線の意見が出た。
かなーり、反省したのだけど、先生が次に示した項目には、身体機能の他に

「楽しみ、生き甲斐、価値」

が入っていた。
小さく、にんまりした私です。


もしかしたらこの知的萩原先生と私、気が合うかも?
サシで飲んだら、楽しそう?

・・・ダメだ。

先生は、身体機能・認知機能の知識もベースにきちんと踏まえた上で、こういう目線があることを教えて下さっているのであり、私のようなベースもへったくれもない人間が直感で言ったことが偶然当てはまっただけじゃ、全然能力があるとは言えない。
サシで飲むのは、延期だ。


パラダイムについても、そして有能感に関する私の心情も書こうと思ったのだけど、忍者さんがメンテナンスを行うようなので、TIME UPです。
また加筆するので、お楽しみに♪



私の新しい、そして若いお友達へ。
かなーり内容の薄い学習記録でごめんなさいね。
足りない部分は、教えて下さいね。
拙い記録ですが、懲りずにのぞいてやってくださいな。
さて、本館には脱線したことばかり書いてしまったので、こちらでは真面目に復習しようかと。

・・・と思ったのですが、明日は一限の授業があるので、早く寝ないといけません。
先日(このブログを始めた日)は「発達障害分野」を途中まで書いたままTIME OUTとなりそのままにしっぱなしの上、老年期分野の方を書けなかった。
それくらい発達障害の授業は密度が濃く、書くのに時間がかかるので、今日は老年期の方を書いて寝ようかなと思います。


本日の授業で、やはり視点が面白い前から萩原先生が口に出したのは

「老年期は確立していない分野だ。そう教科書の最初にも書いてあるよ」

でした。
本当にそう書いてありました。
確かにそうかもしれないと思ったのは、

「老年期=身体障害分野の延長」

としか捉えていない私が、間違いなくいたから。
それを見透かされたように(いや先生は私をターゲットにしている訳じゃないけど)、先生もそう仰った。
その「証拠」として、知的萩原先生は私達に国家試験の過去問を解かせた。
全部で11題。
私は正直ヒヤヒヤだった(提出はしなかったし、先生に結果がばれる訳ではない)けど、結果は8問正解。
ちょっとホッとしたような、もうちょい頑張ろうよと言いたいような。
(ちなみに合格ラインはだいたい60点とされています)
間違えた問題を、書いてみます。

●87歳の女性。アルツハイマー型痴呆、3年前から食事をしたのを忘れたり、お金のしまい場所を忘れる。3ヶ月前、散歩中に帰る道がわからなくなり保護され入院。
この患者の作業種目で適切でないのはどれか。
①革細工のセカンドバッグ
②陶芸の板作りの湯呑み茶碗
③段通の2色のマット
④刺し子のランチョンマット
⑤レース編みのコースター

私は②を選びましたが、陶芸の場合粘土の特性上「やり直し」が可能。
(しかも板作りは陶芸の中では簡単な手法だと私も思った)
正解は①。一番工程が複雑で難しいからとのこと。
でも、革細工も簡単なものもあるよなあとちょっと反論したいが、確かに「セカンドバッグ」は難しそうだ。


●パーキンソン病(ヤールの重症度分類ステージⅢ)の女性の更衣動作指導で適切でないものはどれか。
①前開きシャツよりもかぶりシャツを勧める
②ボタンエイドよりもベルクロボタンを勧める
③フックなしブラジャーよりも前フック型のものを勧める
④キュロットよりも巻きスカートを勧める
⑤ハイソックスよりも足首までのソックスを勧める

正解は③。
そう言われりゃそうなんだけど、私は②を選んでしまった。
よう考えたらボタンエイドなんか余計に使いづらいよな。
パーキンソン病って、どんな病気だったか忘れまくってたよ~。
せっかくなので、思い出しついでにパーキンソン病の三大主徴を挙げておきます。

「固縮・無動・振戦」(だったっけ・・・)


●高齢者が坐位で行うぬり絵活動の効果で適切でないのはどれか。
①思考・判断力の改善
②肩関節可動域の拡大
③目と手の協調の改善
④手指筋力の増強
⑤坐位耐久性の改善

正解は②。
当然っちゃ当然なんですが・・・
私は「ぬり絵をキャンバス、あるいは斜面台に立てかけて行う」ことを想像してしまい・・・
それじゃ油絵じゃん!!
ちなみに私が選んだのは③。
小児だったら間違いなく③は正しいと思ったけど、いわゆる「高齢者」は一度は目と手の協調性は獲得してないか?と思ったので。
はい、言い訳女王です。



さて、先生は

「専門の勉強(3年生から本格的な「専門科目」が始まるカリキュラムらしい)をしてなくても意外と解けるでしょ」

と仰った。
それだけ、問題を出す側としても、我々が高齢者にどうアプローチするのが適切なのか、「かくあるべき」が出来上がっていない分野だと言いたかったのだと思う。
しかも、100問あって、老年期分野の問題はせいぜい4問くらいだって。
今日出された問題の中には、専門的知識が必要なものも確かにあった。
でも、意外と解けるもの。
試験に関しては私には持論があるのですが、今日は置いておきます。
でも代わりに、我が母(リハビリ知識なんて皆無)が解けてしまった問題も書きますね。

●軽度痴呆症状を示す者に対する菓子作りの指導方法(A-D)の難易度を易しい順に並べなさい
(ちょっと問題をアレンジしています)
A 口頭で指示する
B 動作見本を示す
C徒手的に動作を誘導する
Dマニュアルを読ませる

答えは、気が向いたら書きまーす。
皆さんも考えてみてd(゚ー゚*)ネッ



試験問題はここまでにしまして。
本館でもチラッと書いたけれど、今日流行じゃない方の萩原先生は、私達に「百歳バンザイ」を見せた。
100歳にして生き生きと生活している方々から毎回ひとりクローズアップし、その日常を描いたミニ番組。
見て気付いた点を書いて提出しなさいということだった。
私はいつもこの番組に出てくるお年寄りの皆さんが生き生きと毎日を過ごされている様子を楽しんで見ている。
でも・・・おそらく・・・萩原先生はそんなことを書いて欲しいんじゃないだろうと思った。
ざっと番組で紹介された100歳の「看板娘さん」の話をまとめると、

100歳にして、元気に乾物屋・酒屋で豆を売っているおばあさんのお話。
都内ではなかなか手に入らない豆を十数種類置いていて、それぞれの調理法なども熟知しており、お客さんに尋ねられたら美味しく煮る方法を教えてあげたりする。
また、豆の価格相場はきちんと把握しており、仕入れ値の変動など細かく帳面に記入するすごい人。
ひ孫の初節句を前に、孫娘にお赤飯の炊き方を教えるなんて微笑ましいエピソードも。

という感じでした。
うーん、何書いたらいいんだ?
取りあえず、箇条書きにしてみた。
(覚えてる限りで書いてみます)

・豆についての知識が豊富
・豆の調理法の知識も豊富
・量り売り
・豆を通してお客さんと雑談を交わすのが好き
・米ではなく大豆を配給された戦時中の経験を生かしているが、現代人の「豆離れ」を悲しんでいる?

これだけじゃまずいっぺと思い、文章で付け足してみた。
(これもうろ覚え)

「豆についての知識に自信がある方。
他愛もない雑談の中に豆について取り入れたら、自分の知識の豊富さ、経験し学んで得た自信を再認識できる機会になると思う。
ご家族も『看板娘さん』の得意分野をさりげなく立ててあげている(経営している息子さんも豆に関しては看板娘さんにお任せしているとのことだったし、孫娘さんもお赤飯の炊き方を聞いたりしていることから)所がとても微笑ましかった」


さあ私は、墓穴を掘ったでしょうか?
ちょっと面白い視点の知的萩原先生にがっかりされるかどうかは、来週までのお楽しみ。
ちなみに、他の子は私の倍くらい書いてました。やばい~?


では今日はこの辺で。
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